初めてこの小説を読んだ日、何度も何度も余韻を反芻し、涙がとまりませんでした。高樹のぶ子さんはいつも、中年男女の恋愛の肉と心を、美しく、力強くかつ繊細な描写で描き切っていて、素晴らしいと思います。氏自身は、「永遠に続く恋愛なんてない」と婦人公論のエッセイに書いておられましたが、この作品で描かれているのは永遠の愛です。末期癌に犯された郷の身体がこの世から消え去った後も、彼の感覚は千桐の中に埋め込まれ、その後崩壊していく千桐の精神の中に永遠に閉じこまれます。たとえ彼女の肉体が滅びても、二人を見てきた六郎杉はずっとそこに存在するのです。
映画化されましたが、地元の映画館では上映されず、残念です。この美しさが映像でどこまで表現できるのか、ぜひ見てみたいです。しかし、この小説に勝ることは絶対にないでしょう。大切な人との出会いのように、人生でこの小説に出会えて本当によかったと思います。
透光の樹 (文春文庫) 関連情報
新聞連載中は、スムーズには読めなかった『甘苦上海』だが、時間が経ってから読んだ本作は、姿を変えた物語の結構も、登場人物の背景も、「よしよし」と感じられるものだった。もうひとつ筋を通しきれない人間のあてどなさが、なんとも迫ってくる。誰しもがキリッとしきれていないから、誰もがいとおしくなるのかも。連載からの経緯など切り捨てて、新たな1冊として読んでいただきたい。 甘苦上海 (文春文庫) 関連情報
女性の情念を見事に表現している作品で、大人のある意味「純愛」小説と言えるかも知れません。
物語の中で「「恋愛」とはなにか?」を二人が議論する場面が出てきますが、最後に登場する娘眉の結婚生活と対比すると作者の考えている答が見えるような気がします。
物語の舞台になっているのは鶴来(剣)という北陸の町で、終盤に出てくる富来(研ぎ)の町と合わせて、刀鍛冶の500年の歴史と主人公たちの2年2ヶ月の恋物語が重ねあわされているように思います。小道具として登場する刀子に象徴されるように、二人が「愛」を研ぎ澄ましてゆく過程が見事に表現されていると思います。
この小説も素晴らしいのですが、映画のほうもかなりなものでした。原作に忠実なだけでなく、見事に行間を表現している素晴らしい脚本だったと思います。
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セリフとはいえ、若い頃には映画で何度も脱いでいる秋吉久美子が齢五十で裸になって自身の肉体の劣化を嘆くところはリアリティがある。それにしてもここで大物女優のヘアヌードを拝めるとは思わなかった。 透光の樹 [DVD] 関連情報
不思議な本だった。主役はきのこ。きのこを題材にした古今の文学作品を集めた本だ。狂言や今昔物語などの古典からいしいしんじまで16編が並ぶ。
うっそうとした薄暗い林間にひっそりと生えるきのこたち。色とりどりに美しいきのこはもしかしたら毒を持っているかも知れず、食べられそうな地味なものでもどことなくあやうさやはかなさを伴っている。この本に登場する作品はそれらきのこの特徴をうまく捉え、ときにはエロティックに、ときには滑稽にきのこを描く。どれも小編でありながら楽しめた。個人的なお勧めは加賀乙彦の「くさびら譚」。
そしてなにより特筆すべきはこの装丁。なんという豪華な本だろう。何ページにも渡って文字のない真っ黒なページが続いているかと思うと、実は少しずつ紙質が変化していて手触りだけがその変化に気づく。ときには本をぐるりとひっくり返さなければ文章が読めなかったり、光にかざしてようやく文字が読み取れる作品もある。ボール紙のような分厚いページが続いたかと思うとわら半紙のようなざらりとした質感のページに変わっている。フォントもレイアウトも統一性がない。けれども楽しい。きのこのように怪しく美しい本の中に入り込むうちに、自分が薄暗い木の下闇のなかできのこにたぶらかされているような気持ちになってくる。
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