エディプス ランキング!

エディプス エディプス・コンプレックス論争―性をめぐる精神分析史 (講談社選書メチエ)

本書は、人の心の成長と性に関する心理学上の基本概念「エディプス・コンプレックス」にかかわる精神分析家たちの理論の変遷と論争を紹介し、その本質を探るものです。「エディプス・コンプレックス」にかかわる論争は同時に、フロイトとその弟子、後続の精神分析家たちの複雑な人間関係(争い)の姿でもあります。「エディプス・コンプレックス」概念を否定してフロイトのもとを去ったアドラーやユングの行動は、フロイトという"父"の"息子"たちとして、まさにエディプス・コンプレックス的な行動であったなど、興味深い姿が見えてきます。「エディプス・コンプレックス」はフロイト理論の中核をなすものですから、精神分析の各学派の主張の違いを比較し、フロイト理論に関する理解を深めるには良い題材に思えます。ただ、妙木氏がフロイト派ということから、けっきょくは(広義の?)「エディプス・コンプレックス」の枠組みは自明のものとして扱いますから、これを否定したはずの他学派から見れば公正とは言いかねるところがあるでしょう。 エディプス・コンプレックス論争―性をめぐる精神分析史 (講談社選書メチエ) 関連情報

エディプス エディプスの恋人 (新潮文庫)

 あえて三部作の掉尾を飾る作品だと言い切ってしまおう。「家族八景」「七瀬ふたたび」という連作と主人公は同じなのだが、実は前作で話は終わっていたはずだからである。 その謎解きがないままに、物語は大いなる意志に導かれ、否応なく甘美な恋の物語として進んでいく。そして最後に大いなる意志、すなわち母性のエゴイズムの思惑がすべて告白によって証され、その意志に翻弄される人々や自分の存在意義とは何か、という哲学的疑問に昇華していく。 作家が創造した主人公を、意外な人気で引き継いで話を展開した結果、今度は読者の予想もしない地平に物語を引きずり出して、大いなるSF的な解決を見せることでファンを叩きのめし、七瀬を封印した作家快心のシリーズ最終作品と言えると思う。 エディプスの恋人 (新潮文庫) 関連情報

エディプス エディプスの恋人

「家族八景」「七瀬ふたたび」を読んで面白かった人が、「さぁ、三部作の最後だ!」と意気込んで読んだら、たしかに「なんじゃこりゃ・・・!?」と思う作品に違いない。(^_^;)しかし、筒井康隆という作家は、火田七瀬というキャラクターが超能力万能最強無敵ヒロインに祭り上げられ、求められるままに延々とその続編を書くことを要求され(読者と編集社に、である)、作中で彼女がその能力を加速させ、ついには死のうが何しようが再び生き返ってきたり、しまいには神の如くに何でもできちゃうどっかの安物アニメと五十歩百歩の存在になる前に、自らの手で彼女を永遠に「火田七瀬」のままで終わらせたのである。筒井康隆という人は、そういう作家なのだ。だから別のレビュアーもおっしゃってているように、「七瀬ふたたび」までのお話を期待しているお方は、読まない方がよいだろう。それは作品や作家の作風に対する好みだから、「ぜったい読め」と強制したところで、ただ一介のレビュアーに過ぎない私にとって、一文の得にもならない。しかし反対に、筒井康隆という作家の底知れない奥深さを知ってみたい人、断筆宣言にも見られる「へそ曲がり」の一面(笑)を確かめてみたい人や、「この作家の頭の中って、いったいどうなってるの?」というワクワクを感じてみたい人には、三部作を通してぜひ、お読みになることをお勧めする。それを共有できる人がひとりでも増えることは、熱烈な筒井党の私にとってこのうえない悦びだから。 エディプスの恋人 関連情報

エディプス ストラヴィンスキー:オペラ=オラトリオ「エディプス王」

松本市におけるサイトウキネン・フェスティバルで小澤征爾が指揮したストラヴィンスキーの「エディプス王」を思い出す。しかし、その余韻とは一味違った「エディプス王」である。フランス語の語りは音量を抑えて、囁く様。第1幕もさらりと仕上がっている。成る程、歌詞は疫病からの救済を歌っている。即ち、ドラマティックでは無いのである。第2幕でも小澤征爾が展開した「エディプス王」と違う。エディプス・コンプレックスをオラトリオで展開するには、クールさが必要なのかもしれない。これが、エサ=ペッカ・サロネンのドラマツルギーなのだ。小澤征爾を聞いてから、この一枚を聞くと、確かに冷静過ぎるかもしれない。しかし、これが正統かなとも思わせる「エディプス王」。聞き逃せない一枚である。 ストラヴィンスキー:オペラ=オラトリオ「エディプス王」 関連情報




Loading...


ここを友達に教える