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新体制 三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール

 シヴェルブシュは技術の発展が人間に与えた影響などを取り上げてきましたが、今回の本はもっと大きな経済そのものといいますか、資本主義の危機が人間に与えた影響をテーマにしています。描かれているのはプロパガンダ、シンボル建築などの媒介を通してみると一目瞭然にわかる、ナチズム、ファシズム、ニューディールの類似性。戦前の日本の革新官僚も似たような印象なのですが、それは経済中心といいますか、総力戦体制が《近代戦争(冷戦も戦火を交えないだけで同じ)の物資供給の役割に甘んじていた経済が、国家に奉仕する日陰の役割から解放され、自力で行動する権力の座についたこと》を意味するのかもしれません(訳者あとがき)。 ルーズヴェルトのニューディールは私益に対する公益の優先が主張されており、彼の『前を向いて』はナチスが書いたとしてもおかしくない、と見られていたといいます。一方、イタリア・ファシズムはエチオピア侵攻までは西側民主主義国から、ボルシェヴィズムに対する要塞と評価されていたとのこと(p.18)。ファシストたちは、自分たちのプロパガンダは「教育」や「情報」であり、敵のものは「プロパガンダ」だという点で一致していたそうですが、これも自民党のバカっぽい青年部なんかをみても、似ている(p.67)。 ドイツイタリアだけでなくアメリカ、ソビエト・ロシアでも第一次世界後にはナショナリズムが高揚し、先立つレッセ・フェールの50年間に破壊されたものを取り戻すことが主張されたそうです。それは個人主義によって廃棄されそうな共同体や工業によって脅かされる手工業、文化だった、と(p.98)。結局、ナショナリズムはグローバル経済に対する抵抗として組織されていったのかもしれません。 アメリカにファシズムも社会主義も根付かなかったのは、階級意識がないから。逆にヨーロッパでは階級意識が原動力になってファシズムも社会主義も駆動された、というあたりはハっとしました(p.166)。 三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール 関連情報

新体制 近衛新体制―大政翼賛会への道 (中公新書 (709))

 戦前の日本は「ファシズム」だったと紹介されることは多い。そして日本での「ファシズム」成立(確立)時期として大政翼賛会が紹介されることも多い。ファシズムの定義に明快なものはないが、その特徴として「一国一党」が挙げられる。 しかし、その大政翼賛会の実態はどうだったか。まず同会は発足と同時に組織として「骨抜き」にされた。本書の著者である伊藤隆氏の表現を借りるならば新体制運動を推進していた「革新派」は絶えず「現状維持派」の攻撃にさらされていて、「革新派」が最高指導者として戴いていた近衛文麿が「現状維持派」に屈服する(現状維持派化する)ことで大政翼賛会は「一国一党」の形こそ採ったが、治安警察法上「非政治団体」と認定されてしまった。 「権力分立」を基本とする帝国憲法では大政翼賛会のような「一国一党」組織は同憲法がもっとも警戒する「幕府」にあたり違憲であった。新体制運動は「現状維持派」が唱える帝国憲法違憲論(幕府論)に抗しきれず完全に失敗に終わった。ファシズムの特徴たる「一国一党」運動が失敗に終わったのだから戦前の日本を「ファシズム」と評価するのは完全に誤りであることが理解できよう。 では新体制運動を攻撃した「現状維持派」にはどのような勢力がいたのだろうか。 特筆すべきは現状維持派には「右翼」が含まれていたのである。「右翼」といっても「国家社会主義」者ではなく天皇至上主義を唱えるいわゆる「観念右翼」である。 天皇至上主義を唱える「観念右翼」の理解では「一国一党」運動など天皇大権を脅かすもの以外の何物でもなかった。 「観念右翼」が「一国一党」運動に反対し、それを頓挫させた。 つまり「右翼が日本のファシズム化を防いだ」と言い得るのである。 「ファシズム」と「右翼」というと両者は親和性が高いと思うのが一般的ではないだろうか。しかし日本に限り、それは当てはまらないのである。 本書を読めば「戦前の日本はファシズムだった」という意見が全く根拠がないこと、そして「ファシズム」なる用語で戦前の日本を説明することは不適切であることが理解できるだろう。 歴史分析において「キーワード」は重要である。しかし「偉い先生」が使った「キーワード」が有効とは限らない。「ファシズム」なる「キーワード」はまさにそうだった。「キーワード」はあくまで自分で考え選択する。その大切さを本書は教えてくれる。 近衛新体制―大政翼賛会への道 (中公新書 (709)) 関連情報

新体制 大政翼賛会への道 近衛新体制 (講談社学術文庫)

戦前日本の政治体制をファシズムと規定した丸山眞男以来の戦後史学の通念に対し、当時の関係者の日記や書簡など夥しい一次資料の分析を通じて、実証史学の立場から疑問を突きつけた問題作である。初版は1983年に中公新書から出たが、肯定否定いずれの立場からも度々引用される重要文献でありながら、新書にしては著述のスタイルがかなり学術的であるせいか品切れ状態が続いていた。今回講談社学術文庫からの待望の復刊である。馴染みの薄い固有名詞が頻出し、原資料の引用も多く読み通すのに少々骨が折れるが、実証的な歴史記述の一つの典型として、近現代史に関心がある方には一読を奨めたい。大政翼賛会はファシズムの装置とみなされてきたが、既成政党の現状維持勢力や統制経済を嫌う財界、そして天皇中心の国体を奉じる観念右翼など、各方面からの根強い抵抗により、一国一党の強力な政治指導体制の確立という所期の目的が骨抜きにされていく過程が克明に跡付けられている。ファシズムを一種の全体主義であるとするならば、大政翼賛会の挫折は戦前の日本にファシズムなど存在しなかったことの証左であると著者は言う。「日本ファシズム」への評価を巡っては、イデオロギーに翻弄されて、客観的、実証的な学問論争が深められない状況が戦後長らく続いたが、そこに一石を投じた本書の功績は大きい。もちろん、ファシズムの日本、民主主義の英米という単純な図式がもはや通用しないということが、戦前の日本が古典的な自由主義体制であったことを意味するわけではない。むしろ近年の研究では、枢軸国であれ連合国であれ、戦時体制を整えていく中で、多かれ少なかれ経済統制と国民の権利の制限が行われていたのが実状であり、それは総力戦という近代戦争の当然の帰結であるとする見方が有力になりつつある。翻って福祉国家化と行政国家化という現代国家の趨勢を見る時、野口悠紀雄が「1940年体制」と言い、山之内靖が「総力戦体制」と言ったように、物理的な戦争のない状況においても、一種の国家総動員体制の永続化が進行しているとも言える。つまり戦後改革によって戦前のファシズムが否定されたのではなく、戦前と戦後は連続しているのだ。だとすれば、今や政治体制における逸脱ないし病理現象としてのファシズムという概念自体が、社会科学の分析枠組としてどれだけ有効性を持ち得るのか、改めて問われるべきだろう。 大政翼賛会への道 近衛新体制 (講談社学術文庫) 関連情報




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