広辞苑の重さは約2.5kg、
そしてこちらは体重計で量ってみたら、2.2kg!
とてもではないですが、鞄に忍ばせて外出先で読む事は不可能です。
字は大きく、すべての漢字に振り仮名があります。
文豪達の短編はどれも名作中の名作、傑作中の傑作です。
一日の終わり、寝りに落ちる前に読んでもよし、
日だまりのなかでじっくりと読み進めるのもよし。
日本語が読めて幸せだなあ、と悦に入る。
そんな本です。
日本語を勉強されている方にも良いと思います。
百年小説 関連情報
小林多喜二氏の蟹工船に影響を与えた名作です。葉山嘉樹氏の作品は内容がハードであっても、それを感じさせない読み易さがあります。プロレタリア界の文豪といわれるだけの事はありますね。プロレタリア文学に興味のある方は必読と思います。 海に生くる人々 関連情報
文豪さんへ。近代文学トリビュートアンソロジー (MF文庫ダヴィンチ) (MF文庫ダ・ヴィンチ)
現代人気作家6人が、近代有名作品に着想を得た短篇を
一篇ずつ書き下ろすと共に、モチーフとなった作品を語り、
最後にオリジナルの作品も収録した3階建てのアンソロジー。
発想としては工夫を凝らしてあり
6×3=18粒分美味しいはずなのだが
通して読んだ時、若干バラバラな印象は否めない。
好きな作家・好きな作品に的を絞って読めば○。
文豪さんへ。近代文学トリビュートアンソロジー (MF文庫ダヴィンチ) (MF文庫ダ・ヴィンチ) 関連情報
この「淫売婦」は『文芸戦線』大正14年11月号に掲載された。約1年前に同誌に発表された「牢獄の半日」がかれの処女作であった。が、一般に注目されだしたのは当作品からであった。じっさい、広津和郎や宇野浩二といった面々が時評でこの作品に言及している。「我々には想像もつかない世界の/人間生活のどん底の曝露である。/かうした題材を探し出してきた作者の眼のつけどころも、十分推奨に値する」(『新潮』大正15年3月号広津)「私は淫売婦の代わりに殉教者を見た。/彼女は、非搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた。/私は眼に涙が一杯溜まった。私は音のしないようにソーッと歩いて、扉の所に立っていた蛞蝓へ、一円渡した。渡す時に私は蛞蝓の萎びた手を力一杯握りしめた。/そして表へ出た。階段の第一段を下りるとき、溜まっていた涙が私の目から、ポトリとこぼれた。」というくだりは、明らかにかの有名な「セメント樽の中の手紙」を彷彿とさせるものであった。プロレタリア作家の誕生であった。 淫売婦 関連情報
この作品を読みたいと思ったきっかけは、マンガ家・高橋葉介と伊藤潤二の対談だった。
(高橋葉介 怪奇幻想マンガの第一人者 (文藝別冊/KAWADE夢ムック) 収録)
対談で語られたように、たしかにこれは高橋氏の作品「腸詰め工場の少女」とよく似ている。
過酷な建設現場で働く男が手にした奇妙な木箱。
現場で使うセメントを詰めた樽の中から出て来たこの箱には、手紙が一通入っていた。
「私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は…」
そう語り出した手紙の書き手は、驚くべき頼み事を記していた。
非常に真摯な語りであるだけに頼み事の異様さが際立って「手紙の主はもはや狂っているのかもしれない…」そう思い始めた時にトリハダがそそけ立つ怖さが迫ってくる。
そうして手紙に書かれた「あなたも御用心なさいませ」という言葉を思い出しながら、7人目の子を宿す女房の腹を見る男の気持ちに思い至って戦慄する。
手紙の主の恋人のように文字通りではないが、「消費されてゆく民衆」を自覚した瞬間だ。
少ない手取りでその日暮らしを維持するのがやっとの彼らは、自分達が造っているコンクリート製の壮麗な建物を使う機会も無いであろう。
何のために誰のために労働者たちは身を粉にして働いているのだろう。
資本主義の「資本」である彼らを消費するばかりの社会が存続する意義とは何なのだろう?
現代では子供を育むことは人生の喜びであるとされているが、この話のなかでは、消費される為の資本を生産する作業に見えてくる。それが心底恐ろしい。
映画「マトリックス」の現実世界に目覚めたネオのようだ。
葉山嘉樹は「氷雨」も読んでみたが、やはり生活に押しつぶされそうな男が子ども達の未来を想って懊悩する場面が印象的だった。
今の自分の境遇に対する不満という単純なものでなく、未来永劫自分の血筋がピラミッドの底辺で貧苦にあえぎながら生きてゆくのかと想う暗い未来図に息がつまりそうな閉塞感を覚える。
「氷雨」は戦争の足音がそこここで響く昭和12年。
「セメント樽の中の手紙」はその約10年前の大正15年に書かれたそうだ。
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